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斜め15度から、聖書を読む

創世記 第18章22節〜33節 参照
ここでは、32節のみ記述します。

18:32アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。

信仰の祖 アブラハムは、稀有なタフネゴチエータですね。神様相手に、滅ぼさないという言質をとりつつ、50人を10人に80%オフにするという値引き交渉をまとめてしまった。

出エジプト記 第3章1節〜22節 参照
ここでは、4節と5節のみ記述します。

3:4主は彼がきて見定ようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。 3:5神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。

さすが、イエスの模擬者(原理講論より)ですね。
モーセは神様と普通に会話しています。さらには、

出エジプト記 第32章9節〜14節 参照
ここでは、11節と14節のみ記述します。

32:11モーセはその神、主をなだめて言った、

32:14それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。

モーセの方が立場が上かなっと錯覚しそうな表現すらあります。

話は変わり、マタイ福音書 第26章40節
26:40それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。

初代法王ペテロは、原理講義のたびにペテロは眠ったと責められて、少々気の毒に思います。なぜなら、イエス様は受難前の1週間は不眠不休であった
と思えるからです。だからペテロも何日間も睡眠ゼロだったろうと推測できます。

以上のような見方は通常の見方と微妙に異なるため斜め15度としましたが、聖書は神の霊に導かれて書かれた書物であるという立場を全面的に支持します。
ですから、スコープス裁判(アメリカ 1925年)で
無神論側が用いた聖書を愚弄する論法とは根本的に異なります。以下に例を二つ記します。

蛇はイヴを誘惑し、蛇はその罪によって神に呪われ、腹ばい、チリを食べねばならなくなったとあります。では蛇は腹ばいで生きるようになる前は、どうしていたのか、立っていたのか。

『神は一日目に光を、二日目に大空と海を、三日目に地と陸と植物を、四日目に太陽と月を創造し、それぞれの日に夕となり朝となった、とあるが、太陽が創造される以前にどうして「夕となり朝となる」ことが分かったのか?』

by ロード


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