信仰者の美学

マタイ福音書 7:13
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」

この聖句は、私にとって信仰的戒めとなって心に残っています。まだ聖書との関わりを持っていない子供の頃、アンドレ・ジッドの小説「狭き門」を読みました。その時の感想もあらすじの記憶も忘却の彼方に消え去りましたが、「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は・・」この一節だけは強く印象に残っています。

私たちの多くは、この世の価値観という多くの人が歩いている広い道から、統一教会という命にいたる狭い門を選び細い道を歩いてきました。これ自体、かなり難関な道ではありましたが、更なる狭き門の試練が待っていました。多くの食口が家庭連合の信仰を持って安心している時、より狭きサンクチュアリを選択しました。

2度あることは3度あるかもしれません。常に謙虚な心で、より本質的な主体を見失うことのないように、神霊的なアンテナを磨いて進んで行きたいと思います。

韓氏オモニが教訓を残してくださいました。お父様が聖和されて、ご自分が最高の栄光を受ける立場だと錯覚されてしまわれました。実際は、天の血統をより高め、王の王の後継者に侍らなければなりませんでした。それに気付き、最終的に判断することは、お母様ご自身の責任分担でした。

ノーベル賞学者の中で、お父様を再臨主として受け入れた方が何人いるのでしょうか。36家庭の中でサンクチュアリに来られた方はいらっしゃるのでしょうか。日本の会長経験者の中では、どうでしょう。江利川会長だけでいらっしゃいます。狭き門を見出すことの難しさを如実に示しています。

亨進二代王様は、「王国が来た時、皆さんは36家庭のような特権階級の誘惑や試練に会うでしょう。」と語られました。私達には良き手本がいらっしゃいます。いざという時には、あらゆる誘惑を断ち切って、全てを捨てて、荒野に向かわなければなりません。

この覚悟は、かっての、武士道の美学に通づる、信仰者の美学ではないでしょうか。

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