映画「沈黙 サイレンス」の側面からの考察

実に四半世紀ぶりに奥さんと映画館に行きました。
信仰・命・魂・棄教という重いテーマを扱った映画です。今回は、本質的なテーマに正面から論評するのではなく、側面から背景を考察してみます。

映画では、宣教師・信徒を神側、幕府の役人をサタン側と捉えています。時代設定は島原の乱の後の1640年ごろで、最後の宣教師を主人公としています。では、この時代を含めて江戸時代を通して、なぜキリスト教を迫害したかと言えば、初代将軍家康公が禁教令を出したからです。家康公は東照大権現という神様として祭られたので、徳川幕府において家康公の方針を変更することは考えられませんでした。では、なぜ家康公は禁教令を出したのでしょうか。一般的には将軍を頂点とする士農工商の秩序と創造主の元に人間はみな平等を説くキリスト教の教えが相容れなかったとされていますが、そうでしょうか。ヨーロッパにも国王を戴くキリスト教国家はありました。日本でも将軍を中心とする武家社会と仏陀を信仰する仏教天皇家皇室とは共存してきました。どうしてキリスト教だけ目の敵にしたのでしょう。結論的には家康公がヨーロッパの軍事力を警戒したからだと思います。まず、長篠の合戦で戦国最強の武田騎馬軍団を足軽鉄砲隊が撃破する場面を目の当たりにして、欧州の軍事力を思い知りました。また、マカオなどに張り巡らせた家康情報網より、コルテス・ピサロ中南米征服の際には、先に宣教師が送り込まれ、次に軍隊が来襲して制圧し、民は奴隷となり、国土は植民地となったことを知りました。そして、伊達政宗支倉常長を遣欧使節団として送り、援軍要請をしたと感じた家康公は、不安の芽をつむため禁教令を出しました。よって、映画の中で悪役となっている幕府の役人も、日本が生き延びるためにとった政策の被害者に思えてきました。

なお、映画館の中では、2時間半、感情移入しまくって、本質的テーマを考え続けていました。

by ロード


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