先祖との向き合い方

【短編】馬渕睦夫「和の国の明日を造る」第61回「夏休み特別編 第二回:先祖との向き合い方」



全25分間




【感想】

「私 文亨進は、神の王国、天一国の2代目王として、霊界にいる210代までの先祖解怨を宣言するものである」このように天宙に向かって宣言してくださった重みをどこまで感謝しているのだろうと自問します。「家庭連合時代に比べて経済的負担が軽くて助かった」に留まっていないか。ザビエルの布教対象者の話を聞くと胸が詰まります。もし彼らが、この宣言を聞けば嗚咽して感謝し、自発的に、命も何もかも全てを捧げる信仰告白をして、燃える火の玉となって突っ走ったと思います。当時の宣教師は信徒の「自分の両親やご先祖様は霊界でどうしているのか?」と言う問いに「キリスト教の信仰生活をしないで霊界に行った人は地獄で苦しんでいる」と答えるしかなく、これが、キリスト教が日本に根付かなかった理由となった。そもそも当時のキリスト教に先祖解怨や先祖供養の概念はなく、宣教師としても、どうしようもありませんでした。一方私たちは、メシアであられるお父様の願いを受けた亨進二代王様によって、苦労もなく、210代先祖解怨をしていただきました。どれほど大きな時代的恩恵でありましょうか。


今回は、馬渕先生や一般的な日本人の仏教神道の共存を受け入れる信仰観を聞き参考になりました。


芥川龍之介の「おぎん」を紹介されていましたので、さっそく読みました。亨進二代王様が推薦された映画「沈黙ーサイレンス」と同じで、キリシタンの転びをテーマにしていました。極限状態で究極の選択を迫られた時、その人物の真価が問われることになります。石(神・メシア・信仰)を取るかパン(生活・給料・自分)を取るかの試練に遭った時に勝利できるだろうか。希望に感じることは、お父様という勝利された方がいらっしゃるという事実です。私は、1人で悪魔の試練に対峙して勝利する自信はありません。厳しい試練に直面したら、お父様に祈りお父様にお側に来て頂いて、勝利されたお父様と共に闘いたいと思います。特に9月23日までは、その様な状況に遭遇するかもしれません。祈り込んで思考実験をして準備したいと思います。




(おぎん)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/116_15168.html



by ロード



クリックして応援してね。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村