聖歌68番と昴の共通点

68.十字架に向かえり

1.
ガリラヤの磅(ほとり)、貧しき村に
癒(いや)しの業(わざ)を証(あか)せしイエス
背(そむ)きしエリヤに御心(みこころ)痛め
淋(さび)しく岸辺(きしべ)に一人たたずむ
ああ、その日より
主の行く道は、十字架に向かえり
悲しみの道は、十字架に向かえり

2.
ゲッセマネの園(その)に立ちしイエス
悲しき祈り誰(たれ)が知るや
眠りに倒れし弟子を哀(あわ)れみ
一人審(さば)きの庭に向かいぬ
ああ、その時より
主の行く道は、十字架に向かえり
悲しみの道は、十字架に向かえり

3.
父よ、彼らを許し給(たま)えと
祈りしイエスの最後の叫び
神をも人も涙に濡(ぬ)らし
悔(く)いの涙は歴史を清めん
ああ、その丘より
新たな道は、十字架を超えり
勝利の道は、十字架を超えり




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谷村新司が衝撃告白! 名曲『昴』は宇宙人からのメッセージだった!

https://a.excite.co.jp/News/column_g/20140830/Litera_414.html


昭和の名曲『昴』は、プレアデス星団(和名「すばる」)からのメッセージをキャッチして書いた詞だと作詞した谷村新司が証していた。



作詞:谷村新司

目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
嗚ゝ 砕け散る宿命の星たちよ
せめて密やかに この身を照せよ

我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ

呼吸をすれば胸の中 こがらしは吠き続ける
されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
嗚ゝ さんざめく 名も無き星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ

我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ

嗚ゝ いつの日か誰かがこの道を
嗚ゝ いつの日か誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ






【感想】

聖歌68番は言うまでもなく、「昴」も原理的観点からイエス路程を歌った歌だと感じています。谷村氏本人は、トンチンカンなことを語ってますが、啓示的な歌詞だと思います。



神様が準備された(さだめの星たち)である洗礼ヨハネ聖母マリアが失敗して(砕け散ってしまうと荒野に向かう道だけ)となった。40日断食後の(蒼白き頬のまま)、たとえ一人でもみ旨を成します(我は行く)崩れた基台に未練はありません(さらば昴よ)そして、浮かれたユダヤの大衆たちよ(さんざめく 名も無き星たちよ)生きているうちにあなたの信仰を示してください(せめて鮮やかに その身を終われよ)どうか再臨主が降臨された時にはみ旨が成されますように(いつの日か誰かがこの道を)



そして、この心情は、米を買う途中で北に向かわれたお父様の心情であり、荒野に向かわれた亨進様の心情でもあったと思います。




by ロード




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