即位礼正殿の儀と鉄杖精神

「国民の幸せと世界の平和を常に願う」 天皇陛下、即位を宣明される 「即位礼正殿の儀」

https://www.sankei.com/smp/life/news/191022/lif1910220029-s1.html

即位の礼」の中心儀式「即位礼正殿の儀」が22日、国事行為として皇居・宮殿で執り行われ、天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と宣明された。

 儀式は午後1時過ぎ、約2千人の参列者が見守る中、宮殿「松の間」で始まった。鉦(しょう)の合図で参列者が起立すると、陛下の側近である侍従らにより玉座「高御座(たかみくら)」と隣の「御帳台(みちょうだい)」の帳が開かれた。陛下は古式装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包まれ、皇后さまは十二単(ひとえ)のお姿。参列者が鼓(こ)を合図に敬礼した後、陛下が即位を宣明された。

陛下はこの中で、上皇さまの在位中のご活動にも触れながら「国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と述べられた。

 儀式では、三種の神器のうち剣と璽(じ)=勾玉(まがたま)、国の印章「国璽(こくじ)」、天皇の印「御璽(ぎょじ)」が、高御座の「案(あん)」と呼ばれる台に安置された。宮殿内には賓客が両陛下のお姿を見られるようモニター30台が設置された。








【感想】

鉄杖祝祭の天宙的な勝利圏を受け継ぐように、本日、日本において即位式正殿の儀が執り行われ、日本中が、めでたくも厳粛な雰囲気に包まれた。日本国憲法で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」と謳われる天皇という名称が歴史上始めて登場するのは、百田氏によると、7世紀のことである。聖徳太子が607年に、遣隋使の小野妹子を通し、隋の煬帝に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや」という国書を送ると、煬帝は激怒した。煬帝は、日没する処の言葉ではなく、天子の使い方に怒った。当時の冊封体制では、中華皇帝のみが天子と名乗ることができ、周りの周辺国は承認を得た上で王とだけ名乗ることが許された。そのため、それまでは倭王と呼んでいた辺境の地の日本の中心者が、対等な立場を主張したとみなされ、煬帝の怒りを買った。そのため、次に書を送る際に、天子と名乗ると中華皇帝の怒りに触れ、王と名乗ると他国に屈することになるため、東の天皇から西の皇帝に書を送るとした。このように、天皇という名称は、日本民族の誇り高い自主自立の精神が染み込んでいる。この気概は鉄杖精神に通じると感じる。逆に、反日活動家が天皇を日王と呼ぶことは侮蔑の気持ちがにじんでいる。





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