人が神の働きを感じる時

人はとても偶然とは思えない現象を目の当たりにすると、神の働きを感じるものです。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

いろは歌(いろはうた)とは、すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文(ずもん)となっていて、下記のような大乗仏教の「空」の悟りを表しています。

色(しき)(=物資的現象)の花は匂うけれども散ってしまうのに
私の人生も誰も永遠でありえようか
有為(人間の所行)の深い山を今日越えて。
浅はかな夢など見るまい、酔ったりもしない。

ここまででも十分に奇跡の文となっていると言えますが、空海、もしくは、彼に匹敵する天才なら、作るかもしれないと思えます。ところが

いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす

上記のように7文字づつで区切り、最後の1文字を集めると「咎(罪)なくて死す」と
無原罪で誕生され、十字架で亡くなられるイエス様の生涯を、暗示する文が浮かび上がって来ることを見ると、神の働きを感じざるを得ないと思うのは自分だけであろうか?

また、中学生の時、ルート2が無理数であることの背理法による証明や三平方の定理の証明をみて数学における美を感じました。
ところが、オイラーの公式にπを代入した時の衝撃は、その比ではなかった。
数式を使わずカタカナで記すことはかなり無理がありますが、
(イチプラスイーノアイパイジョウイコールゼロ)
なんと、数学史上最も重要な5つの定数である
0(加法の単位元)、1(乗法の単位元)、π(円周率)、e(自然対数の底)、i(虚数単位)が、余分な定数や処理を一切含まず、1つの等式で結ばれていました。
それを見て、神が数学を創ったのだ。と感じ、
衝撃を受けたことを今でも覚えています。

by ロード


クリックして応援してね。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村