天一国市民の銃は、サムライにとっての刀

日本で、銃所持の権利について議論する際に、必ずアメリカ社会の例を取り上げます。しかし、日本とアメリカでは国の成り立ちも国民性も大きく異なります。


むしろ、視点を変えて、日本人には、刀を持ち歩いた江戸時代が参考になるかと思いました。


当時、刀は武士の魂と見なされ、サムライにとって特別な物でした。士農工商と区分された社会の頂点に立つ武士は、誇り高く生きていました。


天下泰平を大義とする社会で、刀を携帯していると、稀に刃傷事件が起きますが、そのことで、刀の携帯禁止を唱える者は誰もいません。刀を身に付ける武士のおかげで社会秩序が維持されることを皆が認識していました。


武士は、お家の一大事には、主君のため、藩のため、刀を持って命懸けで闘う覚悟をしていました。



刀は、武士の必需品と言うより、武士の魂であり、武士そのものでした。

同様に、AR-15は、天一国市民の必需品と言うより、天一国スピリットであり、天一国の本質的核心だと思います。




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