勤労を感謝する日に寄せて

■例年11月23日には仕事をすることが多く、

「今日は勤労できることを感謝する日だね」と軽口を叩きながら働いたものである。

たぶん私は、働くことも、遊ぶことも、勉強することも、嫌いではないと思う。今まで、真面目に働き、真面目に遊び、真面目に勉強してきた。





日本国憲法、第二十七条
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

日本では、勤労は美徳であり、憲法に謳うほど国民意識に根付いている。では、ニートや引きこもりは憲法違反か、いやそんなはずはない。日本民族は弱者をいたわる文化です。健常者が自主的主体的に彼らの分まで働こうとする伝統がある。





■聖書、創世記

2:16主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。」

4:2アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

おそらく西洋人には、堕落前は労働せずとも恵みを受けることができ、堕落後は罰として労働することになったと言う意識がある。そのため、単純肉体労働を見下す傾向にある。





新嘗祭(にいなめさい)の解説を日本国紀より引用する。

『人々は種まきや収穫の時などに、集落総出で豊作を祈願する祭礼を行なうようにもなった。たとえば秋の終わりに収穫を祝う「新嘗祭」もその一つだが、これは建国から現在まで宮中で連綿と行なわれている最重要の祭祀の一つである。しかし大東亜戦争後、アメリカ占領軍の政策により、宮中祭祀・国事行為から切り離され、「勤労感謝の日」という意味の異なる名称に変えられ、古代からの歴史のつながりを断たれてしまった。残念な限りである。』


そして、来年は、御代がわりであり、大嘗祭(だいじょうさい)もある。ちなみに、大嘗祭とは、天皇即位の礼の後、初めて行う新嘗祭のことである。できることなら、勤労感謝の日新嘗祭に戻してもらいたい。


それから、30年前の今上天皇の御即位の際に、久保木会長を中心に国際勝共連合の一員として、提灯行列に参加したことを懐かしく思い出した。




by ロード



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