ハワイ真珠湾攻撃78年に寄せて

犠牲者悼み、日米友好強調 ハワイ真珠湾攻撃78年

https://www.sankei.com/smp/world/news/191208/wor1912080012-s1.html

 太平洋戦争の戦端を開いた1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃から78年を迎えた7日朝(日本時間8日未明)、米軍などがハワイ州真珠湾に面した公園で追悼式典を開いた。米軍関係者や日米の関係者ら約3千人が出席し犠牲者を悼み、日米の友好関係を強調した。関係者によると、攻撃で生き残った13人の米退役軍人が出席した。

 式典では攻撃が始まった時間に合わせて黙祷(もくとう)がささげられ、太平洋軍司令官を務めたハリス駐韓大使やバーンハート内務長官らがあいさつした。近くの海軍施設や南部フロリダ州の海軍施設で相次いで起きた発砲事件の犠牲者にも哀悼の意をささげた。

攻撃で撃沈された戦艦アリゾナの記念館近くでは、米駆逐艦の乗組員らが艦上で敬礼した。戦艦アリゾナの乗組員だったルー・カンターさん(98)=カリフォルニア州在住=は「来ることができてうれしい。仲間の多くが亡くなり寂しい」と述べた。9日には日米合同の追悼式典が行われる。(ホノルル 共同)








【感想】

原理に出会う前は、日本軍国主義満州などに進出し、欧米によるブロック経済で締め付けられ、最終的にアメリカによる石油禁輸で行き場を失い、やむを得ず真珠湾奇襲で優位に立ったがミッドウェーで敗れ戦局を挽回できぬまま泥沼に嵌っていったと刷り込まれた。その後、原理と出会い、再臨主を誕生させるための第一次世界大戦があったように、再臨主が公生涯を出発するために第二次世界大戦が起きたと認識していた。すなはち、真珠湾攻撃は避けられない歴史の必然であったと考えていた。ところが最近、林千勝氏、倉山満氏らの話を聞いて、たとえ第二次世界大戦が避けられない戦争であったとしても、別の戦い方はあったと考えるようになった。日本は勝てる戦略を持っていたので、昭和天皇は開戦を認められた。日本は太平洋戦争とせず、南と西に進んでインド洋戦争にすれば、インパール作戦など楽勝だった。仮に日本が厭戦気分のアメリカと開戦せず、東南アジアとインドを戦場にして、欧州列強とだけ戦ったとすれば、敗戦による終戦ではなく、講和による終戦となった可能性があり、金百文の判断にも別の影響を与えたかもしれない。もしソ連をもっと押し込んで終戦となっていれば、興南路程はなかったかもしれない。サタンは、ルーズベルトスターリン近衛文麿らを操って、再臨主が公生涯を出発するにしても、より困難な路程となるよう、周到に準備していたように感じた。





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