本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足2

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足2を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

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〈神様はロゴスによってメシアを創造された〉

本題に入る前に昨日の菅井氏のコメントに関することを述べます。
菅井氏はコメントで、お父様は、次のように語られたと述べています。

「御旨と世界」 人間に対する神の希望1973年10月20日
「我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙を創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。」 

「神は人間と宇宙を創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。」と語っておられます。
しかし、彼は「創造以前から、三位一体で父と子と聖霊と共に存在していたので、満足していたそれで、人間を創造する必要はなかった。」と述べています。
お父様のみ言葉とは、明らかに矛盾しています。
この、お父様のみ言葉から、彼の言う「創造以前から、三位一体で父と子と聖霊が共に存在していた」ということは完全に間違っていることがわかります。三位一体ではなく、神様はたった一人だったのです。
二代王の語られたキリスト教の考えを巧みに利用して二代王のみ言葉にすり替えています。
そして、この「自己中心的な神様」というみ言葉は、お父様が韓国語で話され、それを英語で通訳し、そして日本語訳したものです。本来のみ言葉とはかけ離れた訳になっていると聞きます。

ところで、本題に入ります。
彼は上述したように、「神は創造以前に、三位一体で父と子と聖霊と共に存在していたので、神は人類を創造する必要はなかった。」と述べています。
お父様は「神は人間と宇宙を創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。」と語っておられるように、この創造前の三位一体は間違いだということです。創造が始まるまで、神様はお一人だったのです。
そして、神様とお父様と聖霊が共に存在していたという三位一体もおかしな話です。アダムもイエス様も夜の神様から来ていますから、創造以前に父と子(アダム、イエス様、お父様)と聖霊が共に存在していたということになります。そうすると、三位一体ではなくて五位一体になります。
アダムやイエス様やお父様は神様の構想(ロゴス)の中で神様と共に存在していたということです。

二代王のみ言葉を紹介します。

ヨハネによる福音書1章1節
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
亨進様:2017年11月26日 英語礼拝
「ことばは神と共にあった。言は神であった」ですが、非常に興味深い概念、ロゴスの観念です。ロゴス( λόγος )、つまりみ言は大変な概念なのです。強大な神様の始まりが、み言であったというのです。もちろん、キリスト教の背景において、それは地上に来られるイエス・キリストとして表されるものであり、神様のみ言が肉となったものです。 そして、「言は神と共にあった。言は神であった」というところに注目してください。

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亨進様:2017年12月6日韓国語礼拝
根本。原因。初めに言があった。 この言が神様と一緒にいらしたのだからこの言は、神様ご自身である。 ロゴス。神様はロゴス。すべてのユダヤ-キリスト教の根本的な神様のアイデンティティは何か? ロゴス。
その言がどうなるか? 肉になることで、イエス・キリストですね。そのように出ますね。肉になることで、私たちを救ったから、このような内容でしょう。

創造以前に神と共に存在したということは、すなわちアダム、イエス様、お父様はロゴスの中で神と共に存在していたということです。

岩崎栄樹 拝





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