【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足9】

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足9を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

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〈神様は自己中心的(堕落性)ではない〉

菅井氏は、「真のお父様は1973年に、神様は自己中心的であられ、ご自身以外の何ものをも意識することなく存在していた時期があると語られています。」と述べています。(2022年1月20日エッセイブログ、コメント欄)

それは、下記の〈「御旨と世界」 人間に対する神の希望 1973年10月20日〉訳を根拠としています。

ところが、この「人間に対する神の希望 1973年10月20日」の訳は、お父様が韓国語で語られ、それを英語で通訳、その英語を日本語訳にしたものです。なので、この訳は信憑性に欠けるものだと考え、ある人に韓国語を直接訳していただきました。
その訳が下記に書いてある内容です。これが、本当の訳になります。
そこには神様は自己中心の時期があったとか、人間には利己的な傾向があるなどとは一切書かれていません。
「神様は、天地万物と人間を造る前、御自身を中心として存在しておられました。それで、神様に似た私たちも、自らを中心として考える時があるのです。」と書かれています。
御自身を中心として存在しておられたのです。自己中心とは、全く違います。
自己中心とは、他をかえりみず、自分の都合や立場のみを考えて行動することです。利己的も同じ意味です。自己中心や利己的とは堕落性です。神様に堕落性があるわけがありません。
「神様が堕落性(自己中心)があった」ということから説明している菅井氏の本体論は、出発から間違っいるということです。彼の夜の神様は、菅井氏に、自分には自己中心性(堕落性)あると語られたのですね。それに、彼は「この本は、夜の神様、お父様の指導によって書いたものだ」と言っていますので、これも真っ赤な嘘だということです。明らかに偽書と断定できます。

「御旨と世界」 人間に対する神の希望 1973年10月20日
「我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙を創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。」P.11〜P.12


人間に対する神様の希望(本当の訳)
日付:一九七三年十月二十日
場所:アメリカ、ジョージ・ワシントン大学、リスナー・ホール
行事:アメリカ二十一カ都市巡回講演

神様の完全投入体としての人間
皆様は神様に似ています。皆様は、皆様自身のために生きる時があります。神様は、天地万物と人間を造る前、御自身を中心として存在しておられました。それで、神様に似た私たちも、自らを中心として考える時があるのです。そのような神様が天地万物を創造し始めたのは、対象の世界を展開するためでした。結局は、別の自分の相対的存在をつくろうということです。それで、神様御自身を投入されたのです。見えない神様から見える神様へと展開させようということです。


岩崎栄樹 拝






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