【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足22】

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足22を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

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〈韓国語原理講論の聖霊は男性、聖神は女性〉

○菅井氏の心配事
聖霊は女性ではなく、イエスに対して対象の立場にあるものです。聖霊がイエスの妻という意味ではありません。そうでしょう?カインとアベルも、カインがアベルの対象の立場にいるのです。カインはアベルの妻ではありません。理解できますか?」

そうなんですよ。聖霊は女性ではありません。韓国語原理講論にははっきりと書いてあります。日本語原理講論には聖霊は全て女性になっています。聖霊は男性であり、聖神が女性なのです。
これを今から説明します。

○菅井氏は原理原本まで否定している。
「その時点で、世界的なアベルカイン一体化の基台が失われ、「聖父・聖子・聖霊」の三位一体の神様と再臨主の真の様相を明らかに出来る条件をサタンに奪われたのです。
ですから、キリスト教背信の以降に書かれた「原理原本」には、「聖父・聖子・聖霊」の三位一体の様相を書き入れることは出来なかったのです。真のお父様が三位一体の真実真理をご存じだとしても、祝福家庭がアベルカイン一体の条件を取り戻さなければ、公表することは出来ないということです。ですから、原理原本をもとにして書かれた原理講論にも、原理本体論にも、「聖父・聖子・聖霊」の三位一体については書き入れることができなかったのです。」

上記は、自分の考えを通そうとして、原理講論のみならず原理原本まで否定する内容です。

◎韓国語原理講論(八大教材教本)の聖霊聖神
・韓国語原理講論には、神の霊として神霊、聖霊(ソンリョン)、聖神(ソンシン)の三つがあります。しかし、日本語原理講論には、聖霊(ソンリョン)も聖神(ソンシン)も全て、聖霊(セイレイ)と訳されています。もちろん、神霊もあります。
原理講論を正確に読み解くためには、お父様の国の言語で書かれた韓国語原理講論を研究する必要があります。

✳︎韓国語の聖霊(ソンリョン)と聖神(ソンシン)には【】をつけています。

・イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。(『原理講論』p165)

 예수님은 남성이시므로 하늘(양)에서,【성신】은 여성이시므로 땅(음)에서 역사하시는 것이다.

ここでは、聖神(ソンシン)と韓国語原理講論には書いてあります。

・日本語原理講論のキリスト論P.263〜268には18箇所の聖霊と訳してありますが。韓国語原理講論では全て聖神(ソンシン)となっています。ここでの韓国語原理講論の聖神(ソンシン)は全てイエス様の妻となるべき女性のことです。

・五旬節のときに降臨された聖神
モーセ路程で第2次民族的カナン復帰路程の実体基台を立てるため、三大奇跡と十災禍による「出発のための摂理」がありました。その三大奇跡の第二の奇跡が何を予示しているのかについて、『原理講論』は次のように説明しています。

 この奇跡は、将来イエスが後のアダムとして来られ、後のエバの神性である聖霊(前編第七章第四節(一))を送られることによって、贖罪の摂理をされるということを、象徴的に見せてくださったのであった。
 最初に手を懐に入れて、不治のらい病にかかったということは、最初に天使長がエバを懐に抱くことによって、人間が救われ難い立場に堕落してしまったということを意味したのである。
 そして、その手を再び懐に入れたとき、病気が完全に治ってしまったということは、人類の父性の神であられるイエスが来られて、人類の母性の神であられる聖霊(前編第七章第四節(一))を復帰し、めんどりがそのひなを翼の下に集めるように(マタイ二三・37)、全人類を、再びその懐に抱くことによって重生せしめ、完全復帰するということを表示されたのであった。(『原理講論』p363)

 이 기적은 장차 예수님이 후아담으로 오셔서 후해와의 신성이신 【성신】(전편 제7장 제4절 Ⅰ)과 더불어 속죄의 역사를 하시게 될 것을 상징적으로 보여 준 것이다.
 첫번 손을 품음으로써 고칠 수 없는 문둥병에 걸렸다는 것은, 처음에 천사장이 해와를 품음으로써 인간이 구원받을 수 없는 입장으로 타락해 버렸다는 것을 뜻하는 것이었다.
 그리고 그 손을 다시 품어서 병이 깨끗해졌다는 것은, 인류의 부성신되신 예수님이 오셔서 인류의 모성신 되신 【성신】(전편 제7장 제4절 Ⅰ)을 복귀하여 암탉이 병아리를 품듯이(마 23 : 37) 전인류를 다시 품어 중생시킴으로써 완전복귀한다는 것을 표시한 것이었다.

 父性の神である霊的なイエス様と母性の神である聖神による霊的重生が実現したのは、五旬節のときです。

 五旬節に聖霊が降臨されてのち、復活されたイエスは霊的な真の父として、霊的な真の母であられる聖霊と一つになって摂理されることにより、信徒たちを霊的に接がしめて、霊的に重生せしめる摂理をされて、霊的救いの摂理だけを成就するようになられたのである。(『原理講論』p425)

 오순절에 【성신】이 강림하신 후 부활하신 예수님은 영적인 참아버지로서 영적 참어머니 되신 【성신】과 합하여 역사하심으로써 성도들로 하여금 영적으로 접붙이게 하시어 영적 중생의 역사를 하셨기 때문에, 영적 구원섭리만을 이루시게 되었다.

以上のように、五旬節のときにイエス様の相対として降臨されたのは、霊的真の母の立場である聖神(ソンシン)です。

・この聖神について文鮮明先生は、「イエスは真の父であり、聖神は母なので、この父母の愛を受けてこそ重生されるのです。(예수는 참아버지이고【성신】은 어머니이므로 이 아버지, 어머니의 사랑을 받아야 중생된다는 것입니다.)(『文鮮明先生御言選集』 7-158 1959.8.30) 」と語られています。

ヨハネ福音書一章33節から34節を見れば「わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかた(神)が、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人(キリスト)こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」と言った洗礼ヨハネの告白が記録されている。(『原理講論』p199)

 요한복음 1장 33절을 보면, 나도 그를 알지 못하였으나 나를 보내어 물로 세례를 주라 하신 그이(하나님)가 나에게 말씀하시되 【성령】이 내려서 누구 위에든지 머무는 것을 보거든 그가 곧 【성령】으로 세례를 주는 이(그리스도)인 줄 알라 하셨기에 내가 보고 그가 하나님의 아들이심을 증거하였노라고 한 세례 요한의 고백이 기록되어 있다.

ここでは、聖霊(ソンリョン)と韓国語原理講論には書いてあります。


文鮮明先生のみ言でも、洗礼ヨハネについて次のように語られています。

エスが洗礼を受けようと洗礼ヨハネのところに来たとき、洗礼ヨハネは霊的に感動してイエスを証しました。洗礼ヨハネは、聖霊が鳩のようにイエスの上に降りるのを見て、「彼は私が喜び愛する息子であり、彼が世を救うであろう」という声を聞いたときは、イエスを証したのです。
 しかし、彼が正気に戻ったときは違いました。聖霊が自分から去ってしまうと、それは夢のことのように思いました。ここに霊的に啓示を受ける食口がいれば、皆さんもそのような経験をしたことがあるでしょう。(『文鮮明先生御言選集』 52-115 1971.12.25)
 
예수가 세례를 받으려고 세례 요한에게 왔을 때, 세례 요한은 영적으로 감동되어서 예수를 증거했습니다. 세례 요한은 【성령】이 비둘기같이 예수 위에 내리는 것을 보고, ‘이는 내가 기뻐하는 사랑하는 아들이요, 그가 세상을 구원하리라.’는 소리를 들었을 때는, 예수를 증거했습니다.
 그러나 그가 제정신으로 돌아왔을 때는 달랐습니다. 【성령】이 자기에게서 가 버리고 나자, 그것은 꿈만 같았습니다. 여기에 영적으로 계시받는 식구가 있으면, 여러분도 그와 같은 경험을 하였을 것입니다.

ここでの聖霊聖霊(ソンリョン)です。聖神ではありません。

まとめ
韓国語原理講論には「父なる霊」と「母なる霊」が、区別されて書いてあります。お父様も区別して言っておられることがわかります。
すなわち、「父なる霊」のことを聖霊(ソンリョン)と言い、「母なる霊」のことを聖神(ソンシン)と言います。
日本語原理講論は区別がないので、これまで聖霊と言えば女性のことだと間違えて解釈していたのです。これで、二代王が語られた聖霊は女性ではないという説明がつきます。全てにおいてつじつまが合うのです。

参考文献
https://unification-principle.com/sonsin2/


岩崎栄樹 拝






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