【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足45】

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足45を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

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〈菅井氏はニ神論者である〉

昨日の菅井氏のブログより
『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』真の愛を中心にして成長された神様2004年4月19日
ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包括し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。
それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。ですから、骨と肉がこのときは縦横を中心としているので、心と体のようなものが、無形ですが、骨と肉のようなものが、縦的な垂直と横的な平衡を中心として、愛を中心として大きくなっていくのです。ここからこの実体を中心として抜き出したものが骨と体なのですが、そこに器官として入れておいたのが人間の五臓六腑です。あばら骨の中にあるすべてのものは、のどから肛門まで切って、すぱっと抜き出せば、五臓がさっと出てくるのです。鳥などを捕まえてみれば、骨と肉がすべて一つになっていますが、その中で五臓は、上と下がつながっています。この体の中で五臓が動くことができるのと同じように、無形の神様が、そのような立場で心と体が、骨と肉が大きくなっているのです。
それで、これを実体圏に移しておくためのアダムとエバの創造であったということです。分かりますか?

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骨と肉とあばら骨と五臓六腑を語りながら、夜の神様がいかにして「愛と生命の種」とともに、生命と心情をはぐくむ「生素」を獲得できるようになったかの奥義が潜められています。

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原理講論には生素について次のように書いてあります。

この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。そして、生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用する中で成長する。(原理講論P.86)

今度は、「生素」などという言葉を出してきました。
原理講論には、「神からくる生素(陽性)」と記されてます。
これだけで十分な説明ですが、彼は、上記のお父様のみ言葉に「骨と肉とあばら骨と五臓六腑を語りながら「生素」を獲得できるようになったかの奥義が潜められている。」と言っています。五臓六腑のどこに生素があるのでしょうか。
勝手にお父様の言われたことを利用して「生素」を持ち出し、彼独自の推論を展開しています。
お父様は、「生素」のことを語るために、このようなみ言を語られたわけはありません。
生素の「せ」の字も書いてないし、生素について読み取ることはできません。
自己中心の頭のようですね。


そして、次の二代王のみ言を引っ張り出して「生素」にこじつけようとしています。

「すごく低レベルの低い神学内容」と「生素」がどのように結びつくのでしょうか。
また、意味不明な文章が書いてあります。
『この結論を引き出すための、巧妙な仕掛けが原理講論の重要なポイントとなるいくつかの部分に潜められているのです。その最たるものものが「生素」に対する解説です。』
生素に対する解説は、「神からくる生素(陽性)」だけしかありません。
何が言いたいのでしょうか。

それから、彼はメシアは神だと言っています。
だとするとイエス様もお父様もメシアなので、夜の神様を合わせれば神様が三人いるということになります。
彼のことだから、本気でそのようなことを考えているのでしょう。
王様はメシアは神でないことは当然わかっておられます。
メシアが神だったら、三神論になります。
いかに王様とて、ニ神論や三神論の神様を語られるはずがありません。

菅井氏だけが、メシアは神だと思っているのです。
彼は、ニ神論者です。(三神論もニ神論と言うそうです。)
空いた口が塞がりません。


二代王様は2021年3月23日に、次のように語っています。

「原理の御言葉にはメシアは神ではないと出ています。メシアは人だと書いてあります。これが、我々が統一教で伝統的に学んでいた内容でした。メシアは神ではなく人間だということです。そこで私たちはすごくレベルの低い神学内容を知ることになったのです。」

菅井氏
メシヤ観は統一原理の中で最も重要なことではないでしょうか。そこが「すごくレベルの低い神学内容」であったと語られているのです。そして、この結論を引き出すための、巧妙な仕掛けが原理講論の重要なポイントとなるいくつかの部分に潜められているのです。その最たるものが、「生素」に対する解説です。


岩崎栄樹 拝





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