【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足57】

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足57を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

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〈神様は、全ての人類に直接臨在される&聖霊が何たるか分かっていない菅井氏〉

菅井氏は、お父様だけには神様が臨在され、お母様や我々子女たちには聖霊を介して間接的に臨在すると言っていますが、お父様は全ての人類に神様が直接臨在されると言っておられます。
何故親子の間に聖霊が必要なのでしょうか。全く持って聖霊というものが分かっていません。

「天地の大道、神が共にある」
本来人間は、神様の実在を問う前に神様を感じることができ、神様を慕う前に、目前に現れる神様を感じることができ、神様を願う前に、自分の中に臨在する希望の実体を感じることができた。
ところが人間は、情的な基準、理念的な基準、生命的な基準に到達することができずに、そのすべてを失ってしまった。
それが人間の悲しみを生んだのである。                1958.19.5

                             
したがって、アダムとエバが神様のみ旨のとおりに個人完成、すなわち人格完成を成し、神様の祝福の中で夫婦関係を結び、神様と完全一体をなしていたならば、神様が彼らの中に臨在し得る因縁が決定していたことでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の因縁を結べる愛の基準が連結されていたことでしょう。言い換えれば、完成したアダムとエバの結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバは神様の体となり、神様は彼らの心の位置に安着され、共に有形、無形、二つの世界で人類の真の父母になっていたことでしょう。
(天聖経P.152)

「真の父と真の母がそれぞれ完成すれば、生心に夜の神様が臨在される真のお父様は昼の神様の実体となると同時に、夜の神様の実体となって完成するのです。」(原理講論)


夜の神様は真のお父様の生心に直接に臨在されますが、真のお母様にも、その息子娘としての私たちにも、聖霊を通して間接的に臨在されるのです。しかし、感じる実感としては、神様が臨在されていると同様の一体感を体恤することになるのです。(菅井本体論P.143)

岩崎栄樹 拝





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