【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足60】

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足60を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

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聖霊というものが全く理解できていない菅井氏〉

4月11日の菅井氏のブログのタイトル

地上界では聖霊と授受作用することによって神様の愛を呼吸するのです!

「地上界では聖霊と授受作用することによって神様の愛を呼吸する」と言っています。
一見、真実のように感じますが、少し考えてみると、だいぶおかしいということに気づきます。

聖霊と授受作用しないと神様の愛を感じることができない。
誰がこのようなことを決めたのでしょうか。
菅井氏が勝手に思い込んでいるだけのことです。
聖霊と授受作用するなど、初めて聞きました。
聖霊に人格があるのでしょうか。
よくもこのようないい加減なことを、平気で言えるものです。
お父様も、イエス様も聖霊と授受作用しておられたのでしょうか

聖霊と授受作用するなど、聖霊に意志があるのでしょうか。
聖霊に考える力がなければ、人間と授受作用できないでしょう。
犬(万物)と人間は授受作用できるでしょう。
全ての存在には性相的な部分がありますから。
聖霊も心と体を持った個性真理体なのでしょうか。
それなら、授受作用できるでしょう。
神様が聖霊を造ったのでしょうね。
聖霊という個性真理体と授受作用してみたいものです。

③神様を中心として聖霊と人間が授受作用すると、神様の愛が出てくるということになります。神様は愛の方なのにまた神様の愛が出てくるとはどういうことなのでしょうか。

次に以前書いた文章ですが、もう一度載せます。

したがって、アダムとエバが神様のみ旨のとおりに個人完成、すなわち人格完成を成し、神様の祝福の中で夫婦関係を結び、神様と完全一体をなしていたならば、神様が彼らの中に臨在し得る因縁が決定していたことでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の因縁を結べる愛の基準が連結されていたことでしょう。言い換えれば、完成したアダムとエバの結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバは神様の体となり、神様は彼らの心の位置に安着され、共に有形、無形、二つの世界で人類の真の父母になっていたことでしょう。
(天聖経P.152)

夜の神様は真のお父様の生心に直接に臨在されますが、真のお母様にも、その息子娘としての私たちにも、聖霊を通して間接的に臨在されるのです。しかし、感じる実感としては、神様が臨在されていると同様の一体感を体恤することになるのです。(菅井本体論P.143)


菅井氏は、上記のように述べています。

しかしお父様は、

「神様が彼らの中に臨在し得る因縁が決定していたことでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の因縁を結べる愛の基準が連結されていたことでしょう。

神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバは神様の体となり、神様は彼らの心の位置に安着され、共に有形、無形、二つの世界で人類の真の父母になっていたことでしょう。」

このように語られています。


菅井氏は、「夜の神様は真のお父様の生心に直接に臨在されますが、真のお母様にも、その息子娘としての私たちにも、聖霊を通して間接的に臨在されるのです。」と言っています。

このお父様の文章を読んで、「お父様だけに神様が直接に臨在され、真のお母様や、その息子娘には聖霊を通して間接的に臨在される」と読み取ることができるのでしょうか。

「神様は彼ら(アダムとエバ)の心の位置に安着され」と言っておられます。アダムとエバは同じです。息子娘もアダムとエバと同じように、心の位置に安着されるのです。

聖霊など一言も書いてないし、必要ありません。人類全て、神様の直接的臨在です。
明らかに聖霊の使い方が間違っています。無理して聖霊を押し込んでいると言う感じです。

聖霊の何たるかも全く理解できていません。

岩崎栄樹 拝





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