馬渕先生による日米近代史②(支那事変の真実)

馬渕睦夫『和の国の明日を造る』第89回 「テーマ:シリア攻撃 / 日米近代史② 【支那事変の真実】-アメリカはなぜ日本より中国を支援したのか-」




【内容】

開始後18分〜41分

支那事変は日本と支那との戦争ではなかった。支那事変とは、ソ連コミンテルンと中国からの搾取を狙っていた英米を相手に日本が戦い、そのために蒋介石は使われた。支那事変の最中に蒋介石は、米英ソの目的が毛沢東に政権を取らせることであることに気付けなかった。気付いた時は台湾に追いやられた後で遅すぎた。清が倒れ無政府状態となり、アメリカの音頭で9ケ国条約が結ばれ、日本を始めとしてどの国も中国で勝手なことをするなとなった。辛亥革命から中華人民共和国の設立まで政府がなく内戦となった。蒋介石を潰すため謀略により、この内戦に日本を巻き込んだ。日本は皇室を始めとする既存秩序を破壊する共産主義の脅威を感じ、ソ連が南下して中国が共産化されることを防ぐために、米英ソを相手に支那事変を戦った。その時に組む相手は蒋介石であったが、残念ながら彼自身がその構図を見抜けなかった。蒋介石は優秀な戦略家とは言えない。毛沢東の背後のソ連とサッスーン財閥のイギリスとウォルストリートのアメリカ、この三悪が組んで日本と戦ったのが支那事変だった。1935年の支那の幣制改革で英米蒋介石を使って中国の民衆の持っていた銀を価値のない紙幣と交換して取り上げて大儲けした。これができるのは中国の指導者であり、蒋介石は民衆を自国民と思っておらず搾取の対象と見なしていた。1936年の西安事件張作霖の息子の張学良が上司で最高司令官の蒋介石を逮捕監禁した。この事件の結論は蒋介石の国民党と毛沢東共産党が組んで抗日統一戦線で国共合作して日本と戦うことが結論となった。1931年に勃発した満州事変が落ち着き、1933年に塘沽(タンクー)停戦協定となると、蒋介石共産党征伐に向った。毛沢東は追い詰められ長征により延安まで逃げ延びた。それで1936年に西安事件が起き、蒋介石に敵は共産党ではなく日本だと飲ませた。翌年から盧溝橋事件・第二次上海事変・南京攻略となって戦闘が活発化した。つまり、西安事件日中戦争の方向性が決まったが、実は西安事件蒋介石は騙された。毛沢東の背後にソ連がいたが、実は英米毛沢東のバックにいた。アメリカは支那事変の最中から蒋介石を支援するフリをしながら、実際は毛沢東を支援していた。これが歴史の逆説だった。だから、支那事変とは中国を共産化しようとした米英ソに対して日本がひとり抵抗した。蒋介石が南京で負けた時に本当なら終わっていたが、アメリカが重慶に逃れさせて、もっと日本と戦わせるように仕向けた。その理由は蒋介石が日本と戦っていると毛沢東を温存できるからだった。結局、中華人民共和国を作ったのはアメリカだった。日本と蒋介石を戦わせた米英ソの目的が中国の共産化であることを日本も蒋介石も見抜けなかった。もし日本がそれを見抜いて蒋介石を説得していたら支那事変は変わっていたはずである。1917年のロシア革命から2016年のトランプ大統領の登場までが旧秩序のグローバリズムの時代だった。世界の潮流はイギリスのブレグジットとアメリカファーストのトランプ大統領の当選でナショナリズムの時代に変わった。大きな流れとしてグローバル市場化の勢いは止まった。今後、ナショナリズムに向かう流れが変わることはない。





【感想】

馬渕先生は、日本におけるアレックス・ジョーンズの立場ではないかと思っています。ご本人も気付いていない大きな使命をお持ちの方だと思います。




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