鉄の杖と自由と責任について

神は、人間が堕落する危険性があるにもかかわらず、自由を与え生殖器を創造して備え付けました。それは、諸刃の剣でした。


鉄の杖(AR-15)も両面性を持っています。人間も知らぬうちに、気付いた時には既に備わっていた生殖器に対して、鉄の杖は、人間が自ら決定した度合いが大きいため、人間自身の責任分担がより重いと感じています。鉄の杖に関しては、亨進二代王様を中心に、天一国合衆国憲法に武器所有権を明記し、聖書に記述された鉄の杖を、AR-15と解釈しました。AR-15は、神様が準備した材料である鉄を用いて、人間が5%の責任分担で設計し製造しました。


ある意味で、人間が自らの意思で、自らの責任分担を決定したので、ひと回り成長したとも言えます。


残念ながら、私は、まだAR-15を実際に手にしたことがありませんが、人の命を吹き飛ばす破壊力を持つAR-15を手にすれば、より一層、自由と責任の重みを実感するでしょう。


そして、人間は、自分自身の死に場所を、自分自身で選べる自由と責任を手にしたようにも感じました。




by ロード



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