【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足12】

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足12を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

▪️▪️▪️





〈この本が妄想の文章であることを一つ紹介します〉

菅井氏
つまり昼の神様そのものには実体がありません。神の愛し合う対象を得たい衝動から発動された、無限無尽蔵の心情エナジーなのです。そのエナジーを、目的を中心として呼ぶ時には昼の神様となり、働きそのものは、聖霊において神の霊と呼ばれるものでした。その神の霊は、夜の神様が母性を体恤するとともに聖霊へと変わっていくのです。心的エナジーが内在した現象エナジーのことを、旧約聖書では「神の霊」と呼んでいるのです。つまり、昼の神様の働きの力を「神の霊」と呼んでいるのです。P.82

1.「そのエナジーを、目的を中心として呼ぶ時には昼の神様となり」と書いてあります。

①以前にも述べましたが、お父様は昼の神様はアダムとエバであるとはっきりおっしゃっています。お父様の八大教材教本である平和神経を完全に無視しています。アダムとエバには実体があります。エナジーではありません。

お父様
夜の神様は、創造以前から今まで昼の神様が現れるのを首を長くして待ちわびて来られた。
​四六時中、昼の神様が現れるのを待ち焦がれて来られた。
​もしアダムとエバが完成して昼の神様になって「一国に現れて真の父母の位置にだけ立つことができたなら、神様は夢にでも現れてヘリコプターで太陽を運んで、月を移してでも​空中で喜びの稲妻を作って歓喜の雷を鳴らしたかったことだろう。(平和神経、21)

2.「働きそのものは、聖霊において神の霊と呼ばれるものでした。その神の霊は、夜の神様が母性を体恤するとともに聖霊へと変わっていくのです。」と書いてあります。

聖霊において神の霊と呼ばれるものでした。→どこにそのような根拠があるのでしょうか。

②夜の神様が母性を体恤するとともの聖霊へと変わっていくのです。→これもどこにそのような根拠があるのでしょうか。み言葉でもあるのでしょうか。

③何故、神の霊が聖霊という名前に変わったのか、証拠を示してほしい。菅井氏のただの空想、あるいは妄想に他なりません。

④神の霊と聖霊とは違うものか同じものか?同じだとすれば何故、呼称を変えないといけないのか?

3.「心的エナジーが内在した現象エナジーのことを、旧約聖書では「神の霊」と呼んでいるのです。」と書いてあります。

①どこにそのような、根拠があるのでしょうか。こういう文章をただの空想、妄想の文章と言います。

4. 「つまり、昼の神様の働きの力を「神の霊」と呼んでいるのです。」と言っています。

①昼の神様の働きが「神の霊」ということですが、これも、お父様のみ言葉や聖書の聖句から示してほしい。明らかに、菅井氏の空想、妄想の産物です。

菅井氏
それまで「神の霊」と呼ばれていたエナジー全体の働きが「聖霊」と呼ばれるようになるのです。P.83 → どこにそのような根拠があるのでしょうか。あれば提示してほしい。なければ、これは妄想の作文である。

菅井氏
原罪のない神様の息子であるメシアを孕める条件が立って、初めて「神の霊」は「聖霊」と呼ばれるようになるのです。P.83 → これもどこにそのような根拠があるのでしょうか。あれば提示してほしい。なければ、これも妄想の作文である。

たったこれだけの文章の中に、このように多くの矛盾点を抱えたものをよくもまあ書けるものだと感心します。明らかに妄想の作文です。

岩崎栄樹 拝






クリックして応援してね。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村