【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足47】

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足47を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

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〈菅井氏は二神論者である〉

  
昨日の菅井氏のブログより

  **2021年3月23日キングスリポート二代王様み言より**

三位一体を理解するには原理の御言葉だけを見るわけにはいきません。なぜなら、お父様が亡くなる直前、お父様は「夜の神」と「昼の神」の神学を教えてくださいました。

お父様は夜の神、つまり創造以前の神(pre-creation God)から来たと言われました。そしてその他の人々は昼の神から来たと言われました。創造以後の神です。お父様はお父様ご自身を他の人と区分されました。

原理の御言葉にはメシアは神ではないと出ています。メシアは人だと書いてあります。これが、我々が統一教で伝統的に学んでいた内容でした。メシアは神ではなく人間だということです。そこで私たちはすごくレベルの低い神学内容を知ることになったのです。

しかし、キリスト教(Christianity)では、キリスト論(Christology)の内容があり、イエスを神として扱っています。非常にレベルの高いキリスト論です。人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。それがキリスト教で扱われている「神は愛である」という内容です。

三位一体のシステムそのものから「愛」を相互間応答(reciprocate)しているわけです。

それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。

ですから、原理講論の内容だけを見ると、我々はメシアに対する低いキリスト論を持っているのです。メシアを神として見なかったのです。女性から生まれた人としては見ましたが、神としては見なかったのです。

お父様が夜の神、昼の神の神学の内容を明らかにされた時、お父様はそのキリスト論を昇格させられたのです。

「いや、お父様はメシアなので特別だ。ただの人間ではない。お父様は神から来られたのであり、夜の神から来られたのだ。創造以前の神から来られた。」ということです。

つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられたということなのです。これはまさに我々がクリスチャン(キリスト教)のキリスト論に近づいた内容でした。

我々(統一教)は、レベルの低いキリスト論から大変レベルの高いキリスト論へと進みました。それで人々はとても驚いて混乱してしまいました。急に低いレベルの神学から、高いレベルの神学へと突然変わってしまったからです。

それで、人々は認知的な不調和ができて、それに適応するのが難しかったのです。

個人的に私はお父様がこのようにしてくださったことにとても感謝しました。なぜなら、お父様が「キリストとしての父」の固有の特性を明確にしてくださり、強調してくださったからです。

それは勿論イエスも同じです。

これがなかったら、我々は常にキリスト教から分裂していたでしょう。イエスをただ他の預言者として見るイスラムに近くなっていたことでしょう。そして、キリスト教から分裂していたと思います。

いつも論理的な分裂がありました。振り返ってみると、これが我々をキリスト教から分裂させる理由だったと思います。なぜなら、キリスト教は非常にレベルの高いキリスト論を持っているからです。私たちはレベルの低いキリスト論を持っていましたね。

お父様がなぜそうなさったのか?神はすべての事をなさるに理由があるということがわかります。最後にはもっと多くのことを悟るでしょう。

しかし、ここで申し上げたいことは、お父様がメシアに対するキリスト論を昇格してくださったということです。

私はこれに対して本当に感謝します。

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この長い文章の中で、今回のポイントの文章は、下記の二つの文章です。

①「つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられたということなのです。」
② 「それで、人々は認知的な不調和ができて、それに適応するのが難しかったのです。」

①の文章について
神様は、韓国語ではハナニムと言います。
意味は「お一人の神様」ということです。

創造原理でも神様は一人です。
キリストや聖霊と共に居られたなどとは一言も書いてありません。

創造前にキリストや聖霊と共に居られたとなると三位一体神となり、一神論ではなくなります。
このような神様を菅井氏は信じているのですね。驚きです。

そして、キリストが創造以前から神と共に居られたとなると、イエス様もお父様もキリストなので四位一体になります。
創造以前から、神様、イエス様、お父様、聖霊が共にいたことになります。

このような原理は、聞いたこともないし、存在しません。
二代王と言えども、そのようなことを分からずに語っておられることはあり得ません。

ただ、人間イエスから神様イエスに昇格したことを喜んでおられるだけです。
原理講論には神様イエスと書いてありますけどね。

創造以前から神と共に存在したということは、すなわちアダム、イエス様、お父様はロゴスの中で神と共に存在していたということです。
そのロゴスが肉になったものがキリストであるということです。

二代王のみ言

ヨハネによる福音書1章1節
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
亨進様:2017年11月26日 英語礼拝
「ことばは神と共にあった。言は神であった」ですが、非常に興味深い概念、ロゴスの観念です。ロゴス( λόγος )、つまりみ言は大変な概念なのです。強大な神様の始まりが、み言であったというのです。もちろん、キリスト教の背景において、それは地上に来られるイエス・キリストとして表されるものであり、神様のみ言が肉となったものです。 そして、「言は神と共にあった。言は神であった」というところに注目してください。

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亨進様:2017年12月6日韓国語礼拝
根本。原因。初めに言があった。 この言が神様と一緒にいらしたのだからこの言は、神様ご自身である。 ロゴス。神様はロゴス。すべてのユダヤ-キリスト教の根本的な神様のアイデンティティは何か? ロゴス。
その言がどうなるか? 肉になることで、イエス・キリストですね。そのように出ますね。肉になることで、私たちを救ったから、このような内容でしょう。

②の文章について
菅井氏のような単純な人がいるのでそのように言われたのです。


岩崎栄樹  拝





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