1人でいられる『隅っこ』がほしい

サンマ焼く母の首を絞め放火 捨てられ、40年引きこもったという男の「我慢の連続」



http://www.sankei.com/smp/premium/news/171208/prm1712080004-s1.html



「1人でいられる『隅っこ』がほしい」。同居する母親の首に背後からヒモをかけ絞め殺した男は、こう書き残して群馬県高崎市棟高町の自宅に火を放った。11月22日、前橋地裁の鈴木秀行裁判長は、殺人と非現住建造物等放火の罪に問われた無職、湯本直木被告(41)に懲役11年を言い渡した(求刑20年)。犯行は「冷酷で悪質」と指弾されたが、裁判長は「我慢の連続で辛かっただろう」とも口にした。公判で明らかになったのは、育児放棄して出奔し、約20年後に舞い戻った身勝手な母親と息子との、やり切れない葛藤の記録だった。


母出奔「お前は、この家の子ではない」

 「記憶にない人」。湯本被告は母親のことを、そう語った。

 生まれて、ほどなく母親は被告と3歳上の兄、そして夫の3人を残し、出奔(しゅっぽん)した。その後、離婚が成立、父親は5歳になった湯本被告を、祖父母らが暮らす母親の実家(高崎市)に押しつけるようにして置いて、去った。「警察を呼べ」。祖父が叫ぶほど、有無を言わせぬ対応だったという。

 「お前は、この家の子ではない」。幼い頃、祖母にそう言われたこともある。20歳で家出した母親が勝手に夫と結婚し、被告らを産んでいたせいもあるだろう。小学生になって、祖父母と名字が異なることをからかわれ、引け目も感じた。

 「なぜ育ててくれないのか」。父も母もいない境遇に、物心ついた頃、浮かんだ言葉を湯本被告は、法廷でも吐きだしている。

 こんな幼少期を経て内気な少年になった被告に、祖母も「高校くらいは行け」と地元の農業高校進学を進めた。だが、なじめず半年で退学。在学中に経験したアルバイトも「人と接することができない」と1日でやめている。社会に順応できず以後、犯行までの25年間、働かず、外出は買い物程度で家に引きこもる生活が続いた。

 
母、帰る「絶望感を感じた」

 平成11年、出奔した母親が突然、実家に戻った。22歳になっていた湯本被告には衝撃だった。すでに祖父は亡くなり、祖母と2人暮らし。母を名乗る中年女性は、ただの「記憶にない人」で、「突然、現れ、ショックで絶望感のようなものを感じた」。

 しかも「身勝手で、自分のことしかやらない」(湯本被告)母親は、アルバイトのチラシを配らず家に持ち込み散乱させるなど「好き放題に汚した」(同)。きれい好きな被告は反発したが、母親と衝突したのは祖母だった。もともと「反抗的で社会性がない」(親族)母親は、実家に戻ってからも祖母と、しばしばぶつかり、15年には、祖母をいたぶる母親の顔を被告が殴打し続け、傷害容疑で逮捕されている(執行猶予付き判決)。「(直木は)私をかばったんだ」。後に祖母は親族に語り、被告を擁護したが、事件後、被告は母親と一切、口をきかなくなった。



決定的だったのは25年3月、祖母が介護施設に入り、母との2人暮らしが始まったことだった。土地を貸すなどして得ていた月15万円ほどの収入は母親が握り、祖母から受け取っていた月1万円ほどの小遣いもなくなり、母親は1円も被告に渡さなかった。被告側弁護士によると、湯本被告は貯めた小遣いと叔母から受け取った5万円で犯行までの約3年半、細々と食いつないだという。



きっかけはずさんな料理と笑い声

 家事の担い手がいなくなり、放置された食べ物にカビがはえ、信じられないことに母親は浴室に排泄したこともあったという。後始末で腹をたてても、口を開くことはない。黙って処理するうちに、被告の中の負の感情が膨らんでいったとみられる。

 それが、一気に爆発したのは昨年11月18日の午後、きっかけは母親のずさんな料理だった。母親は、よくガスコンロの上に薄い餅網を置き、その上で魚を焼いた。魚の脂で網もコンロも脂やススだらけになるが、後片付けもしない。片付けは被告の役だったが、この日は16日から3日連続の魚料理で、いずれの日もサンマだった。

 午後1時ごろ、もうもうと煙が上がる中、「焼いている最中に(母親の)笑い声が聞こえた。絶対的な怒りを感じた」。自室にあったジャージーのひもを手に背後から近づき、首にかけた。

 「ごめんなさい」「新しいのを買うから」。母親の断末魔の声を被告は覚えている。しかし、手は緩めなかった。気がつくと、母親は台所の床に倒れ、息絶えていた。

 冒頭陳述などで、詳しい犯行状況の説明を聞いた湯本被告は、起訴事実を認めた上で、語った。

 「罪悪感はあった。ただ、安らいだ気持ちも同時にあった」

 
原因は母性の欠如と人間関係の一貫性の欠如

 犯行から3日間、遺体はそのままにして、過ごした。母親の携帯の着信音が何度か鳴った。「死んで償おう」。手首に刃物を当てたが、痛くてためらい、首を吊ろうとしたが、苦しくてやめた。

 「1人でいられるような『隅っこ』がほしい」という遺言は、このとき、書いた。そして、ストーブの灯油をまき、火をつける。

 5歳から育った祖母の家は、ほぼ全焼したが、途中で熱さに耐えきれず、2階のベランダから飛び降りた。

 「母を殺しました」。救急搬送される車内で、そう告げた。

湯本被告は公判前、精神鑑定を受け、他者とのコミュニケーションに支障をきたす自閉症スペクトラム障害と診断された。精神科医は「(幼少期に母の愛情を受けられなかった)母性の欠如と人間関係の一貫性の欠如が見られる」とし、「40年も(精神的に)引きこもっていたわけだから、自閉症の症状は軽くない」と指摘した。判決理由で鈴木裁判長は「被告人はひたすら我慢し続け、怒りや恨みをため込んでいたことなどが犯行の原因」「犯行に至る経緯に障害が相当程度影響を及ぼした」と弁護側の訴えを認めた。



すべてを言い渡した後、裁判長は静かに語りかけた。

 「これまでの人生、我慢の連続で辛かっただろう。それでも、亡くなった母の人生も振り返ってほしい」。ジャージー姿に坊主頭の湯本被告は、黙ったまま、深く一礼を返した。

                  
(前橋支局 住谷早紀)





【感想】

富岡八幡宮事件の陰に隠れて目立たなかったが、胸の締め付けられる記事があった。まったく、やり切れない、切ない事件だった。まるで芥川龍之介の短編小説のように登場人物の心の裏表を考えずにはいられなかった。湯本被告の魂は、裁判長の「我慢の連続で辛かっただろう」の言葉で少しは慰められたことであろう。1人でいられる『隅っこ』も与えられない可哀想な人生であった。そして、身勝手な母親にしても、不幸な人生を送って、最期は息子に殺されてしまい悲惨極まりない生涯となってしまった。この方たちのために祈りたいと思った。




by ロード




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