「本然の本体論」は信仰上の3度目の荒波

「本然の本体論」は信仰上の3度目の荒波

最近「本然の本体論」を批判する機会が多くあり、今までに似たような経験を2度していることを思い出した。1度目はパソコン関連企業で、2度目は家庭連合であった。時間を遡って記述する。まず2度目の家庭連合では韓鶴子女史の背信による摂理破壊が余りにも巧妙かつ大規模で、大部分の食口が気付かぬ内にサタンは家庭連合を乗っ取ってしまった。ひと握りの食口が気付いた頃には、個人レベルの抵抗では巨大な濁流を食い止めることはできず、命からがら逃げ出すことで精一杯だった。今でも私は、よく呑み込まれずに生き残ったなあっと思っている。(アボジカムサハムニダ)そして1度目のパソコン関連企業では90年代半ばに南米摂理があった。社員総会でE氏は「我が社は南米国家のトップを釣り上げる立派なエサにならなければならない」と社員を鼓舞した。その後、雲行きが怪しくなったが、大半の社員はその危険性に気付いていなかった。私も「大多数の社員は食口なんだから、一部の者が不信仰しても会社全体が乗っ取られることはないだろう」と高を括っていた。更に事態が緊迫すると、熱心な社員は労働組合を結成して抵抗した。彼らは「今まで左翼が労働組合を利用したが、今度は神側が労働組合を活用する番だ」と語り、会社側と戦った。私は労働組合に賛同していたが、活動はしなかった。その後F氏が地方営業所を説明のために回った。その話の中で「残念ながらE氏を除名することになった」と語った。質疑応答で私はF氏に「除名となれば永遠の命に関わることだが、それをお父様は承認されたのでしょうか」と尋ねるとF氏は「もちろんそうだ」と答えた。この様に1度目のパソコン関連企業も2度目の家庭連合も、最後はまんまとサタンに奪われたが、両方とも侵略初期段階で大半の食口は侵略計画に気づかなかった。また家庭連合の時は相手が大き過ぎて個人レベルの抵抗は無力であったが、パソコン関連企業の時はまだ何かやれることがあったと今になって感じている。この反省が、やれるだけのことはやろうと「本然の本体論」を批判する動機のひとつとなった。

統一教会における重要な3要素は[1]中心者[2]教義[3]血統と思っている。家庭連合では[1]韓鶴子女史による簒奪[2]赤い天聖経[3]毒酒、と3要素とも汚して、根こそぎ奪って行った。「本然の本体論」では[2]教義から侵略を謀っている。

「本然の本体論」は私にとって、摂理の中心となったサンクチュアリを奪おうとする3度目の津波と感じるが、多くのサンクチュアリ信徒は、大した問題ではないと思っている風潮がある。サタンは教義変更という宗教における急所を突いているが、油断をしていると大火傷を負う危険性がある。なお私が「本然の本体論」を批判する際の論点の骨子は次の3点である。(1)二代王様の承認なく信徒は勝手に教義を変更してはならない。(2)小冊子や動画で自説の導入部分にみ言を利用している。(3)夜の神様のメッセージを直接受け取れる者はメシアだけである。

以上が「本然の本体論」批判活動の総括の中間報告となる。


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