【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足34】

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足34を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

▪️▪️▪️





聖霊が理解できていない菅井氏〉

本日の菅井氏のブログで、何か訳のわからないことをごちゃごちゃ言っています。
無視してもよかったと書いてありますが、それでも重要な内容だと思ったのでしょうか。
しかし、原理原本を無視してもよかったとは、自分を何様だと思っているのでしょうか。
訳を批判するなら、自分であの韓国語の文章を訳してみたらどうですか。

『原理原本』、『原理講論』の三位一体の概念でなければ、霊的重生(霊的救い)や肉的重生(肉的救い)が成り立ちません。我々はどのようにして祝福を受けたのですか。真のお父様と真のお母様二人がおられたので祝福を受けることができたのでしょう。真のお父様一人で、原罪を取り除くことはできません。


さて、今日のテーマに入ります。

したがって、アダムとエバが神様のみ旨のとおりに個人完成、すなわち人格完成を成し、神様の祝福の中で夫婦関係を結び、神様と完全一体をなしていたならば、神様が彼らの中に臨在し得る因縁が決定していたことでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の因縁を結べる愛の基準が連結されていたことでしょう。言い換えれば、完成したアダムとエバの結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバは神様の体となり、神様は彼らの心の位置に安着され、共に有形、無形、二つの世界で人類の真の父母になっていたことでしょう。
(天聖経P.152)

夜の神様は真のお父様の生心に直接に臨在されますが、真のお母様にも、その息子娘としての私たちにも、聖霊を通して間接的に臨在されるのです。しかし、感じる実感としては、神様が臨在されていると同様の一体感を体恤することになるのです。(菅井本体論P.143)


菅井氏は、上記のように述べています。

しかしお父様は、

「神様が彼らの中に臨在し得る因縁が決定していたことでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の因縁を結べる愛の基準が連結されていたことでしょう。

神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバは神様の体となり、神様は彼らの心の位置に安着され、共に有形、無形、二つの世界で人類の真の父母になっていたことでしょう。」

このように語られています。


菅井氏は、「夜の神様は真のお父様の生心に直接に臨在されますが、真のお母様にも、その息子娘としての私たちにも、聖霊を通して間接的に臨在されるのです。」と言っています。

このお父様の文章を読んで、「お父様だけに神様が直接に臨在され、真のお母様や、その息子娘には聖霊を通して間接的に臨在される」と読み取ることができるのでしょうか。

「神様は彼ら(アダムとエバ)の心の位置に安着され」と言っておられます。アダムとエバは同じです。息子娘もアダムとエバと同じように、心の位置に安着されるのです。

聖霊など一言も書いてないし、必要ありません。人類全て、神様の直接的臨在です。
明らかに聖霊の使い方が間違っています。無理して聖霊を押し込んでいると言う感じです。

聖霊の何たるかも全く理解できていません。

岩崎栄樹 拝





クリックして応援してね。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村