安倍元首相銃撃、「民主主義への挑戦」なのか 京都府立大教授・岡本隆司

https://www.sankei.com/article/20220724-FHFXCXK4QRNOFP64POWND7UB2Y/

小欄拙文の掲載日は参議院選挙が終わって2週間後。選挙の帰趨(きすう)をうけ、内外の情勢などを書こうか…と考えはじめていた。そのとき飛び込んできたのが、安倍晋三元首相の銃撃・殺害事件である。
内外に大きな衝撃を与えた事件も、捜査途中ながら経緯が明らかになりつつあり、特定の政治思想信条ではない怨恨(えんこん)による凶行の可能性が浮上した。公人要人としての甚大な損失はいうまでもない。故人は筆者より10歳ほど年長でしかなく、まだまだこれからだった本人の無念さは察するにあまりある。
筆者にとってはまた別の意味で、今回の事件は衝撃的だった。立場・利害・思想を異にするはずの関係者・識者が、第一報に口をそろえて「民主主義」に対する「挑戦」「攻撃」「冒瀆(ぼうとく)」といいたて、新聞・メディアもほぼ同じ論調だったからである。そのトーンが続いたことに、いささか違和感を禁じえなかった。








【感想】

山上容疑者は、旧統一教会への献金に恨みがあったと供述した。それならば教会責任者を攻撃したくなる考えを持ったとしても説明がつく。そして山上容疑者は、安倍首相を襲撃すれば家庭連合が社会から非難されることを期待した、とも供述していることを読んだが、違和感を感じた。思考回路が風吹桶屋理論であるだけでなく、発想が日本人的でないことである。日本人なら、たとえ玉砕しようとも潔く、教会責任者を狙うが、ビデオメッセージを送った程度の関わりしかない安倍首相を暗殺して、巻き添えにする発想は、どこか大陸的であり、損得勘定至上主義のDS的な考えと思えるからである。つまり、この様な思考パターンからも単独犯犯行説を疑ってしまう。




by ロード



クリックして応援してね。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村