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科学的で合理的で効率的な手法とは

前回の記事「6マリアについて」を
お読みになって
「み言の裏付けもないくせに、
いい加減なことを勝手に書くな。」
っと、お怒りの方もいらっしゃる
のではないでしょうか。

ところが私、このようなご意見には同調
しないのでございます。
なぜならば、
とても科学的で合理的で効率的な
手法であると信じているからです。

科学や数学の世界では、
まず、直感によって仮説を立て、
後から、実験によって確かめたり、
証明によって定理として確立させることが、
常套手段となっています。

ですから、
前回の記事「6マリアについて」は
一種の仮説なのです。

仮説によって大きく進歩した例は、
枚挙にいとまがありません。

ハッブルは、全ての銀河が遠ざかっている
ことを観測しビッグバン仮説を立てました。
そして、宇宙マイクロ波背景放射の発見で
ビッグバン理論として確立しました。

アインシュタインは、光速度が不変という
直感から、相対性理論の仮説を立てました。
日食のとき太陽の重力で恒星からの光が
曲げられていることを確かめて
理論として確立しました。

進む方向性を示すという点で、
仮説を立てることは、
計画を立てることに似ています。
もし間違っていても、
別の仮説が立てやすくなります。

ただし、害悪となる仮説もあります。
「神は存在しない」という仮説を立て、
偽りの論法で、マルクス資本論を、
偽りの検証で、ダーウィンは進化論を、
それぞれ確立しました。

では、原理講論は、
「神は存在する」という仮説を立てて、
歴史の同時性や聖書の検証を通して、
真理であることを示そうとしている
書物なのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
原理講論では、神の存在を仮定していません。

創造原理の冒頭を引用します。
「第一章 創造原理 第一節 神の二性性相と被造世界
(一)神の二性性相
無形にいます神の神性を、我々はいかにして知ることができるだろうか。」

原理講論は、真理を伝える宗教書であり、
神の存在は自明です。ですから
「いかにして知ることができるだろうか。」
より論説は始まっています。

by ロード

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