ダイナブックから思い起こす懐かしい風景

シャープの戴正呉会長「ダイナブック年内上場も」

https://www.sankei.com/smp/economy/news/200703/ecn2007030012-s1.html

台湾の電子機器受託製造大手・鴻海(ホンハイ)精密工業傘下でシャープの戴正呉会長兼最高経営責任者(CEO)は2日に台北で記者会見し、ノートパソコンを手掛ける子会社のダイナブック(東京)について年内に上場させたいとの方針を表明した。台湾メディアが伝えた。

 シャープ広報担当者は、年内に上場申請の準備を始められたら良い程度だとしている。シャープは2018年に東芝からダイナブックを約40億円で買収し、21年度中に株式上場を目指すとしている。戴氏はダイナブックは安定して収益を上げていると強調した。

シャープは6月29日の株主総会後の取締役会で、戴氏が会長兼CEOとなり、野村勝明氏が社長兼最高執行責任者(COO)に就いた。(共同)



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【感想】

上記の記事では、ニュース内容よりも「ダイナブック」という言葉が目に止まり、懐かしさがこみ上げ、いろいろ昔の出来事を思い出した。私が初めてコンピュータに触れたのは1979年であった。フォートラン言語を紙のカードに穴を開けてプログラミングしていた。研究室には座布団のような8インチフロッピーディスクがあった。80年代になり、仕事でデスクトップパソコンやMS-DOSを使うようになった。その後ラップクラッシャーと揶揄される膝の上で使えるラップトップパソコンが登場した。その頃にアラン・ケイダイナブック構想を読んだ。現在のiPadのような製品を半世紀前に予言した想像力に驚嘆すると共に、自分が生きている内に、お目にかかることはないだろうと感じた。その後ノートブックパソコンが市場に出回り、東芝が「ダイナブック」という製品を出したが、アラン・ケイの構想に比べれば名前負けしていると思った。今では小学生からお年寄りまでスマホを使う時代となり、アラン・ケイの予言を現実世界が追い越してしまった。こうしたテクノロジーの進歩に驚くと共に、人知を超えた霊界協助も感じる。1945年お父様が公生涯を出発すると、ラジオ・テレビ・電話が普及しENIACに始まるコンピュータ時代の幕が開けた。40年荒野時代が終結する頃には、ビデオデッキを用いてビデオセンターが開設され、携帯電話が現れ、パソコン時代に突入した。三代王権の時代になると、インターネットの影響力がテレビ・新聞を凌ぎ、スマホ時代が定着した。ところで今日、子供から「CPUって、ComPUterの略なの?」と聞かれ「Central Processing Unitの略だよ」と答えて、少し見直された。昔取った杵柄もたまには役に立つこともあるようだ。今日は、たまたま目にしたダイナブックの一言から郷愁の念にかられた。共に学んだ学友たち、共に開発した兄弟姉妹は今頃どうしているだろうか。




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