台湾の李登輝元総統が死去 97歳「民主化の父」

台湾の李登輝元総統が死去 97歳「民主化の父」

https://www.sankei.com/smp/world/news/200730/wor2007300016-s1.html

台北矢板明夫】台湾の民主化を進め、初の直接選挙による総統を務めた李登輝(り・とうき)元総統が30日午後7時24分(日本時間同8時24分)、入院先の台北栄民総医院で死去した。97歳だった。李氏は今年2月、自宅で牛乳を誤嚥して病院に搬送され、肺浸潤がみられるとして投薬による治療を受けた。その後も入院を続けていた。

 李氏は終戦前から台湾に住む「本省人」として初の総統に就任した。中国大陸由来の国民党政権による一党独裁体制を内側から変革し、「台湾民主化の父」と呼ばれた。中国からは「台湾独立派」と批判されたが、流暢な日本語と親日的な言動で、多くの日本人に親しまれてきた。

 李氏は日本統治時代の1923(大正12)年、台北郊外(現新北市)で生まれた。京都帝大農学部農業経済学科に進学し、在学中に出征したが終戦で帰台。台湾大卒業後に研究職に就き、米コーネル大で農業経済学の博士号を取得した。

 台湾農業に関する報告が評価され、総統だった蒋介石の長男、蒋経国に抜擢され、71年に国民党に入党。農業担当の政務委員(無任所大臣に相当)や台北市長などを経て、総統となっていた蒋経国から副総統に指名された。88年1月、蒋経国の死去により総統に昇格した。

2000年までの12年間の総統在任期間に、憲法を6回改正し、1949年の中台分断以降、改選されていなかった立法院(国会)の全面改選を行うなど民主化を推進。96年の総統選を直接投票とし、自ら初の民選総統に当選した。また、中国全土の統治を前提とした政治体制から、実効支配する台湾に合わせた体制への改編を進めた。李氏が行った教育改革は「台湾人」意識の向上につながった。

 中国は一連の改革を台湾独立の動きとみなし、96年の総統直接選に合わせ弾道ミサイル発射など軍事演習を実施、米国が2個空母打撃群を派遣し「第3次台湾海峡危機」となった。99年に李氏はドイツの放送局の取材で、中台は「特殊な国と国の関係」と発言し、中国側の反発を招いた。

退任表明後の2000年の総統選では後継候補の擁立問題で党が分裂。民主進歩党民進党)の陳水扁氏が当選し、初の政権交代となった。李氏は責任を問われ国民党籍を剥奪された。

 日本との関係では、01年に心臓手術で訪日する際、ビザの発給が政治問題化した。16年夏までに計8回訪日し、07年には実兄が祭られている靖国神社に参拝。台湾も領有権を主張する尖閣諸島沖縄県石垣市)をめぐっては、台湾内で批判を受けながらも「日本の領土だ」と公言し続けた。

 李氏は、自由と民主主義のために闘う「正論路線」を発展させた言論活動に贈られる「正論大賞」で、令和元年の特別賞に選ばれていた。



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【感想】

台湾民主化の父と呼ばれる李登輝氏が死去された。1923年に生まれ、敬虔なクリスチャンとして知られ、「22才までは日本人だった」と公言される親日家でした。そもそも台湾とは毛沢東共産党に敗れた蒋介石率いる国民党が逃れて来て、できた国である。すなはち中国と台湾のルーツは同じ大陸である。それにも関わらず台湾が真っ当な国になれた最大の理由のひとつは李登輝氏が存在したからとも言える。李登輝氏は農業を専攻し、武士道に影響を受けた。その後、蒋介石の息子から見出されて政界入りし、国民党独裁の時代に、民主主義体制を目指して、複数政党を容認した。また正しい教育改革に尽力された。近年では、靖国神社に参拝され、尖閣は日本の領土であると明言した。現在の蔡英文氏は愛弟子であり、娘のように応援した。不思議なのは、これほど立派な経歴で、お父様とも同世代のクリスチャンでありながら、原理講義などで扱われる頻度が高くないことである。激動の世界情勢の中で、台湾の重要性は高まっている。李登輝氏を精神的支柱とする蔡英文政権との連携は、日本にとって文字通り死活問題となっている。葬儀はキリスト教式の国葬になる。ご冥福をお祈りします。





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