【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足32】

【今回の記事では、岩崎栄樹さんの論考 補足32を掲載します。なお承認制だったコメント欄を開放しますので、感想や意見のある方は、当記事コメント欄に書き込んでください。by ロード】

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〈原理原本で完全に崩れ去った菅井本体論〉

・何度も書きますが、聖霊や三位一体はキリスト教解釈の根幹にあたります。この分からない聖霊や三位一体論を解決された方が、お父様です。それが、原理原本や原理講論に記載されています。だから、統一原理は素晴らしいのです。だから、お父様はメシアにふさわしい方の一つの要因になるわけです。
ところが、菅井氏はこの聖霊や三位一体のお父様の解釈を否定するわけです。まさに、反キリストです。何処かへ行ってほしいものです。


【『原理原本』にあるイエス様と聖神に関するみ言】
「그룹들이 돌며 빛난 화염검을 두어 생명나무에 이르는 길을 지키게 하심이 었다.」(창세기 3/24)
이 生命樹라는 겄은 하나님끠 直接 속할 수 있는 自体를 막어버리게 되였 다. 이겄이 人間이 하날을 対하여 한 間隔이였의였다. 이 間隔를 알내면은 原 理的 存在가 出現하여만이 始作된다. 그 存在는 卽 第二 아담 예수와 해와 聖神이 出現되어야 한다.
 그런고로 예수가 땅에 와서 自己 根本 使命的 役割를 畢하고 昇天하고 난 後에 聖神降臨서 부터가 다시금(사행2/1-4) 火焰劍의 除去되여야 한은 겄이 事実的으로 原理이무로 聖神은 五殉節에 火갗은 舌를 갈르면서 各人에게 臨하 심은 이 生命樹인 길의 하날的으로부터 열리기였끼에 우리는 다시금 永生할 수 있는 生命樹의 道를 찾게 되어 生命果까지 取하여 永遠理想 永生를 取하여 야 할 路程은 許與되였다.

「神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置い て、命の木の道を守らせられた」(創世記3章24節)
 この命の木とは、神に直接、属することができるものであるが、そこに至る道 をふさいでしまったのである。このように人間と天の間に一つの間隔が置かれる ようになったのだが、この間隔について知ることは、原理的存在が出現してはじめて始まるのである。その存在とはすなわち、第2アダムのイエスと(第2)エバ聖神が出現しなければならない。
 それゆえ、イエスが地に来て、自らの根本使命としての役割を終えて昇天した のち、聖神が降臨したときから再び(使徒行伝2章1~4節)「回る炎のつるぎ」 が除去されなければならないというのが原理である。そのため、五旬節に炎のよ うな舌が現れてひとりびとりの上にとどまり聖神に満たされたというのは、命の 木への道が天から開かれたということである。したがって、我々は再び命の木へ の道を訪ね、命の実までも得て、永遠の理想である永生の路程を歩むことを許諾 されたのである。(『原理原本』第一巻13「命の木に対する根本意義」より)
※翻訳責任:伝道復興委員会 副委員長 中村仁史 


ヨルダン川でイエス様に降臨した聖霊(セイレイ)は聖霊(ソンリョン)で、五旬節に降臨した聖霊(セイレイ)は聖神(ソンシン)です。完全に区別されて書いてあります。
み言葉でもお父様は、聖霊(セイレイ)を聖霊(ソンリョン)と聖神(ソンシン)に区別して言っておられます。
菅井氏は五旬節の聖霊(セイレイ)も聖霊(ソンリョン)と捉えていますが、聖神(ソンシン)です。明らかな間違いです。これが夜の神様と通じている人の書くことでしょうか?通じていない証拠です。


【原理原本の三位一体】
 基督敎에서 三位一体라고 하는 名詞은 무었이나 하면은 卽 하나님 아담 해와가 完全하게 一体가 되어야할 中心意義를 두고 말하는 바이다. 그런고로 하나님의 사람과은 父子之關係로 되여있다.
 하날 中心한 三位一体가 惡中心하고 三位一体가 되고 마니 惡世界 사탄世界에도 三位一体가 있는 바이다.

 キリスト教で「三位一体」という名詞があるが、これは何かというと、神とアダムとエバが完全に一体にならなければならないという中心意義について語るものである。したがって、神と人間とは父子の関係になっている。
 天を中心とする「三位一体」が悪を中心とする「三位一体」になってしまったため、悪の世界であるサタン世界にも「三位一体」が存在するのである。(『原理原本』第一巻7「堕落の始まりを調べてみよう」より)
※翻訳責任:伝道復興委員会 副委員長 中村仁史


・原理原本も原理講論も三位一体は、神とアダムとエバの一体化です。
しかし、菅井氏の三位一体は、神とアダムと聖霊の一体化です。明らかに違います。エバ神隠しになっています。エバは、どこに囚われの身になったのでしょうか。かわいそうなエバです。
この三位一体が間違っているのに、聖霊聖霊と大騒ぎをしている方が一人だけおられます。言うまでも無くなく菅井氏です。サンクチュアリ人として恥ずかしい限りです。

完全に崩れ去った、菅井本体論です。


岩崎栄樹 拝






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